妻を手伝うのではなく、責任を共に分かち合う
僕は妻と 責任 を共有しています。彼女を「手伝う」ために家事をしているのではありません。これから先もそうです。お客さんのようにただ座って何かをしてもらうのを待つようなことはしません。
妻が家中を走り回る姿をただ見つめ観察したり、重いものを運ぶ姿をしり目にテレビを見たり、ただ座ってなどいません。家族になったその日から、全ての責任を分かち合い、父親としての仕事をするのは当然だと思っています。
僕は妻のパートナーです。彼女を愛しているし、家族を作り上げるという素晴らしい道のりを共に歩いているのです。楽しみや苦しみを分かち合うのが家族です。
責任を分かち合うのは大切なことです。家族の中の父親としての役割を果たすこと、つまりそれは家事に参加することも意味しています。皿を洗い、アイロンをかけ、おむつを交換し、料理もする。恥ずかしいことなど何もないし、また独身に戻りたいなどと考えることもありません。
それが大人としての僕なのです。悲しいことに、世の中にはそうでない家庭も多く存在します。女性がそのほとんどをこなしており、男性はその他のことだけをするただの傍観者なのです。
ですが子供のことを考えるなら、家族が一つになって家事全般を平等にこなす姿を見せるべきなのです。
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妻を手伝うのではなく、責任を分かち合う
家の中で働くのと、外で働くのはどちらが価値があるのか? これはまさに終わりのない議論です。「この間僕がお皿を洗ったのに、妻はありがとうも言わなかった」といったフレーズを耳にしたことがあるかと思います。僕はこういった友人といる時、自分の中に沸き起こる疑問があります。「妻が家の中と外でしている仕事に対して、みんな感謝しているのか?」
考えてもみてください。なぜ自分たちの家の中のことをするのに、妻から感謝されなければならないのでしょうか?
彼女が誰にも感謝されずに何度も何度も繰り返し行うことを、自分がしたからと言って感謝することをなぜ妻に求めるのでしょうか?
だから僕は妻を「手伝う」というようには考えないのです。彼女は誰の手伝いも必要ありません。彼女は自分ひとりでもこなすことが出来るのです。
僕たちに必要なのは仲間です。彼女がたとえ一人で出来ることだとしても、やはり互いに助け合うべきなのです。
家の掃除を「手伝う」のではありません。僕は自分たちが暮らすスペースを過ごしやすくしているだけです。同じ屋根の下、僕もこの家に住んでいるのです。
料理を「手伝う」のではありません。僕も食べるのだから、その責任の半分を担っているだけです。食べればお皿が汚れます。つまりそれを洗うのは僕の責任でもあるのです。
子育てを「手伝う」のではありません。彼らは僕の子供で、僕たちの子供なんです。
家事を手伝うのではなく、共有する
洗濯、食器を並べる、家族の服をたたむ。おもちゃを片付ける。子供に算数を教える。庭仕事をする。
これら全て、手伝うのではなく、家族の一員として役割を果たしているのです。これが僕の家族としての在り方なのです。
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家の中の仕事を妻の仕事だと絶対に思うことはありません。性別に関係なく、僕は両親が教えてくれたこと、学校で学んだことをもとに生きてきました。僕は家族をとても大切に思っています。子供にとって最善の手本でありたいと考えています。
妻をパートナーとして大切にし、客のような態度をとることはしません。妻の存在と、彼女が家族のためにしていることに感謝しています。彼女を尊敬しているのです。