映画『千と千尋の神隠し』に込められた大事な教訓!

映画『千と千尋の神隠し』は、2002年ベルリン国際映画祭にて金熊賞、そして2003年にはアカデミー長編アニメ映画賞を受賞しました。今日は映画『千と千尋の神隠し』に込められた大事な教訓をご紹介します。
映画『千と千尋の神隠し』に込められた大事な教訓!
Azucena Fernández

によって書かれ、確認されています。 教師 Azucena Fernández.

最後の更新: 27 12月, 2022

『千と千尋の神隠し』は世代を超えて評価されている素晴らしい映画です。これまで子どもも大人もこの映画の魅力に引き寄せられてきました。実に、今世紀最高の映画の一つと考えられています。今日は、この映画を何度も観る価値がある理由について詳しく見ていきたいと思います。

2001年、スタジオジブリは10歳の女の子の物語をこの世に出しました。主人公の千尋(ちひろ)は不思議な世界へ迷い込んでしまい、生き延びていくために神々が通う湯屋で働かなければいけません。この巨大な湯屋で起こる千尋の冒険を通して、日本の伝統や神々という精神世界に触れることができます。

神々は日本の宗教である神道に出てくる、信仰対象である八百万の神(やおよろずのかみ)を象徴しています。西洋の国々では各宗教の神に当たりますが、日本の神道では自然現象が神格化した神です。さらに映画には、鬼と自然界の魂が混ぜ合わさったような妖怪も出てきます。

「『千と千尋の神隠し』は宮崎氏のキャリアにおける最大級の表現であり、日本文化がいっぱいに詰め込まれ、価値観の起源と伝統への敬意を忘れず、それでいて21世紀の現代の尊厳すべきビジョンが現れています。」

– ガルシア・ビラー –

日本の伝統や礼儀正しさに欠ける両親たちの行動が原因で、千尋は大きな問題を解決しなければいけません。ごく普通の女の子でも、千尋は課されたことを全てやってのけることができます。常に人に対する思いやりを持ち、何が正しいかを理解しているのです。

映画『 千と千尋の神隠し 』の大事な教訓

© Studio Ghibli

『千と千尋の神隠し』に込められた大事な教訓

協力することは反対するよりも良い結果を生む

千尋は「油屋」という名の湯屋で、経営者である魔女の湯婆婆(ゆばーば)に働かせて欲しいと頼みます。もちろんそれは大変な仕事だと分かっていますが、千尋は明るく振舞い、湯婆婆の言う通りにします。

このようにして千尋は何とか仕事をこなして、この魔法の世界で生き残り、いつか自分の世界へ戻ろうと努力しています。

働きたいと伝えた時、湯婆婆は千尋に対してぶっきらぼうでしたが、それでも少女は魔女に優しく接しています。千尋は湯婆婆を「おばあちゃん」と呼び、友達のハクにかけられた呪いを解くように頼みます。

よく見れば、誰にでも良い部分がある

これはカオナシという、黒影にお面のような白い顔がついている役にも言えることで、千尋は全然カオナシを怖いと思っていません。

誰もがカオナシを悪い者だと信じ込んでいますが、千尋は良い所を探そうとします。その間にカオナシに何が起こったか、そしてどうしたら本当の姿にもどれるかを見つけるのです。

「千尋は誰にも良い所があると信じています。誰でも皆良い部分があると信じて、湯婆婆にも立ち向かっていったのです。」

千尋の経験から欲深いと化け物になってしまうことを学ぶ

千尋の両親は正にその通りになってしまいます。払ってもいない屋台のごちそうを食べ過ぎて、両親は豚の姿に変わってしまうのです。

食べ物のおかげで幸せになると思っています。しかし現実には貪欲になると、問題を起こすばかりなのです。こうして千尋の不思議な旅が始まります。

『千と千尋の神隠し』における自然と環境の重要性

この映画の重要なテーマは自然への尊厳です。物語の中で、異臭を放つ神が油屋の客として現れ、その悪臭とヘドロで油屋が大変なことになってしまいます。

千尋が根気強くオクサレ様の入浴のお世話をすると、実は汚染された河の神だったことがわかりました。客の身体に刺さって抜けない自転車のせいで、ゴミまみれの泥がどんどん溜まっていたのでした。千尋がそれを抜いて身体をきれいにしてあげると、本来の神の姿に戻ります。

オクサレ様に刺さっていた自転車には別の意味もあります。それは誰かが自転車を河に投げ捨てたのが原因なのです。この映画は、河にゴミを捨てるような環境汚染を止めるという大事な教訓を教えてくれます。

河に壊れた自転車を捨てたりすると、河の水を汚染するばかりでなく、河の神の魂までも汚してしまうのです。

映画『 千と千尋の神隠し 』に込められた大事な教訓とは?

© Studio Ghibli

「河の神が洗浄されると、千尋はとても喜びます。そしてきれいになった河の神が油屋を出ていくと、従業員みんなが大喜びします。映画の脚本家・監督である宮崎駿は、河を大事にするとお金持ちにはならないが私達を幸せにしてくれるという、とても重要な教訓を伝えています。」

消費者社会は人を奴隷にする

アニメ映画の中で、湯婆婆から仕事をもらう人は皆、自分の名前を失って以前の人生のことを忘れてしまいます。自分が誰だったか分からなくなるのは、ある意味だれもが奴隷になってしまっているという現代社会を示唆しています。

湯婆婆は名前を奪い、従業員を奴隷のように支配するのです。ハクに対しては、名前を忘れさせて、宝ものを渡す約束をしたのに結局それをあげません。

 

やはり映画『千と千尋の神隠し』は21世紀最高の映画の一つなのです。

この宝物を利用して、この価値ある教訓をぜひ子ども達と共有しましょう。


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